2006年12月14日

リーガリズム:改訂

利己心中立的であることは「法」蠍座の基本的要件であると思います。井上達夫『共生の作法』はエゴイズムから離れることを正義の基本的要件としています。以下エゴイズムの定義。
それは「私が私であるが故に、自己または自己と一定の関係をもつ存在者のために他者の場合とは違った特別な取扱いを要求する…」立場である、と。
 とはいうものの「私」のとくしゅな価値観に基づいて「リーガリズム」に企投することもあるでしょう。価値統合のために、という極めて私的な理由から、利己心中立的であろうとしてもよいのです。「リーガリズム」も「私」の〈利益性〉に囲い込まれるんです。
このあたり経済倫理の諸伝統の比較研究ー日本版経済倫理の確立を目指してー基盤研究(A)(1)課題番号15202001、H.15~18年科研費報告書に所収の「センの経済倫理と合理性概念」を参照のこと。続きを読む
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2006年11月22日

関係性:承前=2013/7/13=2015/11/16

 カント哲学的な超越論的視点を設定すること。これは、どこかで超脱的な視点を認めることを意味しないでしょうか。事はその視点がカント哲学的な「私」に立ち止まっていられるかに係っています。
 世界の中に「私」ならざる他者が存在することを否定するつもりはないからです。たとえ存在論において勝義の他者が現われて来なかったとしても、なお実践的に、他者が「私」を追い越している、つまり世界の独立に現にいることを肯定したいからです。
 そうしたことがらを、つらつら考えるにつけ、超越論的視点を、傍観的な第三者的視点として設定するよう誘われます。アーレントなら言説の不死性によってこの「異」なるものを強調することでしょう(橋本努氏のレジュメ参照)。「私」にとって「異」(傍観者)をあえて留保するのは、生き方の分裂ゆえなのでしょうか。

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2006年11月06日

哲学は教養に過ぎない

はじめまして。哲学についての雑感を交えながら身辺について書きとめるブログです。
このごろつくづく哲学が教養であることに嫌気がさしています。哲学が教養である限り、社会的規範の代弁者であり、そこにヒロイズム(ヒロイニズム?)という押し付けがましさを感じてしまいます。だって永井均さんでも愛という社会的価値にコミットしておられるではありませんか。
しかも哲学には論理的整合性が要求されることは論を待ちません。そんなことはおっぽり出して哲学以前で生き方に悶々している私の哲学(?)は(夏目漱石の)「門」の前で彷徨する魂の世迷いごとにすぎません。
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