2020年03月03日

宮沢賢治論・冒頭

プレアデスへの序奏・科学と宗教のあいだ
* * 研究史
 プレシオスの鎖Jがプレアデスを意味することの根拠に、『旧約聖書』ヨブ記三八:三一を引証できる。「汝昴宿の鏈索(くさり)を結び得るや。参宿の繋縄(つなぎ)を解き得るや」。当該箇所は、全体で「プレアデスの星のつながりを人の手で見えなくさせようと思っても、見えなくさせられない。オリオンの綱を解こうと思っても解くことはできない(4)」である。つまり「そのような勝手なことはできないのである。神がお作りになった、天の秩序は堅牢である」ということになる。
異説として鎖を因果連鎖(5)、食物連鎖(6) 、大いなる生命の連鎖と取る論者もいるが、ミスリーディングである。さらにプレシオスを、プレアデス星団とペルセウス星団からの造語と解する古東哲明のそれもある(7)。いずれにせよ鎖は、人の手によって自由にならない「鎖」である。
そして前後の文脈からは、くだんの「プレシオスの鎖を解く」という文言が、「ほんたうの考とうその考」を見分ける実験の結果と「重なる」ことが分かる。例えばネットでは、散開星団のガスの混沌にダブらせて〔解くを「切り分け」と解し〕「混沌としている事実と虚構とをしっかりと切り分けること」http://www. astron.pref.gunma.jp/ inpaku/galexp/ pleiades.html(2020/1/14閲覧・部分後述*)と解釈する者も存在する。
また斎藤文一は、次のように解釈する。
 「あらゆる人のいちばんの幸福を求めて、「プレシオスの鎖を解かなければならない」という言葉が書かれた。プレシオスはプレアデスに他ならない。ではその意味は何か。これは単純に星団の統合力(重力場)からの解放脱出ではない。より普遍的に銀河系全体で、新しい諸天体との連帯を求めて進み出ることを意味するであろう(8)。」プレアデスの鎖を、天体を結びつける「力」=重力に注目して、「さらに正にこの「力」から「解放されねばならぬ」(9)」と解している。人間の連帯の歩みにおいて、「「プレシオスの鎖」から解かれるようにそれ自体の生命力を宇宙的に開花させる」と、連帯が導く「幸福」への途上に位置づけられるわけである(10)。この〈解放連帯説〉解釈では、プレアデス星団の星々が、散開星団の重力による収縮で新しく誕生してきたことを踏まえて、重力場・新しい諸天体と言っているように読めるが、旧約の文脈から離陸しすぎている。むしろ酌みとるべきは、鎖を解くことによって、連帯をはぐくむという点であることは、後に述べるとおりである。
さてこのプレアデス解釈の前梯として、「ほんたうの考とうその考」C(ほんたうのたった一人の神B)が見分けることができるという論点がある。
一、考えられている真理観はいかなるものか、
二、どうして科学と宗教とが一体化するCのかである。
三、そのさい、実験(*サイトの言う検証)Cということがいかに関わるか。
一はおそらく、非相対主義的な真理ということが問題であり、その背後に客観視する視線を彷彿させるとともに、二として近代的な理神論を思い起こさせる。そして三として、実験的経験科学の実証性が関係してくる。
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2020年03月02日

つれづれなるままに

@価値の普遍性とは・・・インデックスを欠いたこと・レファランスのなさ(意識一般)・普遍化可能性・公平性
A価値と評価 ヴェーバーの価値の洞察は浅薄である。価値判断論争は不毛。評価と情動。
Bプリンツの方が偉い? 認知主義の迷路
C価値判断は相対的でない。 可謬的だが、相対性の消尽点を哲学は目指す。死の問題・愛の問題・人生の意味・倫理的問い
D価値判断は評価と区別すべきである。 引用符つきの価値判断
E選好を左右するもの。 独立性。好奇心。非帰結主義。
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2020年02月09日

遡及入力

 書き散らかした部分の改訂を行います。
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2019年04月14日

開店休業

 雑誌掲載論文の著作権の関係から、ブログに新しい考えを公表できませんでした。去年から書いている、現代哲学と価値論の話は整理し直す必要性を認めているのですが。
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2018年01月14日

2017年10月25日

カント研究会

今週末、発表してきます。「倫理のマトリックスとカント―「幸福に値すること/幸福を実現できること」―」です。
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2017年10月15日

予定

10月は出張準備。
11月は報告書執筆。
12月は非常勤の予習。
1月は宮澤賢治論。・・・トンネルは長い。
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2017年09月11日

賢治・フロイト

http://www.konan-wu.ac.jp/~nobutoki/papers/kenjiellis.html
 精神分析と賢治への影響については、上記HP参照。
フロイト「自我とエス」邦訳16頁。「内的知覚は、心の装置のきわめて深い層も含めてきわめて多様な諸層で生じた出来事について、さまざまな感覚を生み出す。それらの感覚についてはよくわかっておらず、その雛型といえるのは、一連の快・不快の感覚くらいのものである。それらは外部に由来する感覚よりもいっそう本源的で荒々しく、しかも、混濁した意識状態においても、感覚として成立することができる」。

 奔馬の比喩を参照せよ。リビドーはエスから供給される(力動論的構造=マグマと修羅)。
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2017年09月09日

岩手山・メモ

宮澤賢治・詩集「春と修羅」
 きたなくしろく澱むもの・・・とはなにか。雪ではない(賢治にとって雪は清浄)。おそらく気層の逆転により生じたコロイド状(?)の濃密な雲である。濃密は他との浸潤的共扼を意味しうるが、えぐられた火口との対比で言えば、微塵に散在しえない自我のネガが投影されている。負としての抉れ。ラツィオの欠損体。
 一つのイド=es。賢治とフロイト。
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2017年09月04日

新たな文献=2017/11/7

http://sougannosumeru.seesaa.net/article/411226998.html?1504472184
若干、pdfのリンクを貼り直しました。
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2017年08月07日

遡及

 Grenzenの訳が、ちらほら誤訳のようなので、改訂作業を行います。
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2017年08月02日

価値escalation

 (再)記述によって行為の価値がエスカレートすることを価値エスカレーションと呼ぶ。一つには、確率の低下を補う象徴的効用(非厚生主義的価値)が増えること・また、価値の低下を補って価値が増えることを指している。
★泥の皿を食べることの低価値が、アートのパフォーマンスとして記述されることでエスカレートされる例を想像せよ。
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2017年07月29日

あしたはカント研究会

 小谷氏と湯浅氏の発表を聴きに、日帰りで東京に行ってきます。行き帰りでは、オニールのagencyの論文を読む予定。
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2017年07月10日

ウィットゲンシュタインの共感できる点・非哲学的雑感=2017/11/2

 およそ、宗教というものは科学以前の実践によって先取りされるものである。そうした宗教に強みがあるとすれば、どのような点か。
〔解〕循環構造が宗教の弱みであり、また強みである。次のようなケースを考えてみよう。イエスは神の子である←なぜか・聖書でそう述べてあるから正しい←なぜか・聖書は神の子イエスがそう述べているから正しい。というなら、結局「イエスは神の子である」を繰り返し述べていることになる。つまり、論理的正当化以前に、「イエスは神の子である」を先取りしている。その意味で帰納の手続きと似ている。宗教についてはむしろ、論理による正当化を語る前にこう述べればよい。「宗教的な真理が存在する。ピリオド」。
 この独断で居直ることは宗教の非合理性でしょう。もう少し回りくどい表現を使えば、観念形態として完結しているということです。たしかに「語りえないことには、沈黙せねばならない」(『論理哲学論考』7)というウィットゲンシュタインの言葉に相違して、語りえぬ(論理的に正当化しえない)ことについてあえて宗教は言及する。しかし宗教は、科学では表立たないことについて敢えて示唆している。こうして考えてみると、信仰の強みは端的にある種のことがらを、敢えて説諭するところにある。このように信仰の強みを解釈することについて、考えることを補ってみよう(数十億回、生まれ変わったとしても、記憶が断絶していたら、一回の生を生きるに等しい。裏返せば、一回の生が、無限億の生まれ変わりと等しい重さをもつということである。ニーチェの永劫回帰〔「おまえが現に生きており、また生きてきたその生を、おまえはもう一度、いやさらに無限回にわたって、生きねばならぬ。そこには何ひとつとして新しいことはなく、あらゆる苦痛とあらゆる快楽、あらゆる思いとあらゆるため息、おまえの生の言い尽くせぬ大小すべてのことが、おまえに回帰して来ねばならぬ(後略)」(『悦ばしき知識』三四一。生の永劫回帰という究極的で永遠的なもの以外で足りると納得するためには、生というものを限りなく愛おしまなくてはならない。〕wittgenstein.jpg
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2017年06月27日

著作権

 二重投稿の注意に考えが及びました。少々、その点がラフだったので、自粛してブログ活動を行おうかと思います。
 価値のタイポロジー―超越的当為の定位:商大論叢に掲載されました。
 リッカートの真理論:商大論叢に掲載予定です。
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2017年06月13日

転喩の心理学から読み取っていただきたいこと=2017/10/31

 ――観念が印象のコピーである、これを「知覚モデルの哲学」と呼んでいる。哲学史的には、観念論に親近性をもった考えである。しかし印象が原物であるとして、そのコピーである観念と、比較する術はあるのだろうか。定義的に、そうした比較は不可能であろう。(たとえいま見ている赤といま思い描いている赤〔の心像〕の比較であっても、不可能である)とするなら、「知覚モデルの哲学」には、破産が予告済みなのではなかろうか。
 本書が観念論から実在論へとゆるい意味で転換するのは、こうした観念論の破産宣告見通しにもとづいている。おそらく観念が印象のコピーであるというのは正しくなく、心に浮かんでいるもの(観念)は、印象どころか実在にすら係留されているのだろう。そうしないと、不可知論的な原物を設定せざるをえないという、困難が待ち受けている。観念論から撤退し、実在論へと押し出される所以である。ただしその実在は、他人と共有されるかどうかということは、いまのところペンディングにしておく。安易に公的「知覚」(現象学)・公的「言語」(分析哲学)によって、実在と結びつけることを急いではならない。その前に多くの哲学的問題が横たわっているように思われる。

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2017年06月01日

大体、手を入れた

 日記の考えの変わったところ等、だいぶ手直ししました。あとはリッカートの真理論をフィヒテ哲学の後裔として描き出したいのですが・・・。
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2017年03月31日

早朝覚醒

今、今朝のブログを見てみたらタイプミスがはなはだしい。急いでしこしこ修正するのだった。
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2017年02月20日

宮澤賢治論=21世紀の宮澤賢治

・宮澤賢治と普遍的幸福論〜賢治のてれと自己陶酔・文系の知の行方➀
・よだかの星から〜地球はこんなにすばらしい。陰陽道と環境倫理A
・根拠が揺れるとき(地震)・末期の眼(キュブラー=ロス)・永訣の朝という物語りB

➀はカントの『諸学部の争い』の背景にある普遍的幸福論に照らして、賢治の合理性・自己愛を見定めるものです。「よだかの星」の末尾の自己愛と「ビジタリアン大祭」の合理性を主題とします。〜自己愛を強調しすぎたので、宮澤の魅力が半減した。

Aは環境倫理学の話です。「よだかの星」等のエコロジーを解説して、よだかとの対話の実践例を発表するとともに、受講者に賢治の自然誌から五行に該当するアイテムを選んでもらい、自然解釈の面白さを味わってもらおうとするものです。小森陽一の「土神ときつね」を踏まえます。あまり解釈の独自性はありません。〜うつつの境地を浮かび上がらせたかった。

Bは自然科学と「物語り」論を展開するものです。大学時代の地理部の活動や大島での巡検の話を地震と結びつけます(位田将司先生のリスボン地震の話も少し)。それから終末期医療における物語りの話を結びつけます。「永訣の朝」をその文脈に織り込みます。〜ここでも賢治の自己犠牲の浅薄さに突き当たってしまった。続きを読む
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2017年02月16日

フィヒテの勉強=2017/5/30=2017/6/6

 リッカートを理解するにはフィヒテが不可欠だと悟り、瀬戸一夫氏の「無根拠への挑戦」をひもときました。第一章はカントの弁証論が過度に簡略化して書かれており、いささか拍子抜け。いや、これはヘーゲルにつながる弁証法の一路程と善意に解釈できましたが、二章以降、論証のスピードが一章の優に5倍のスピードで繰り出され、一度読んだだけでは理解できませんんでした。もっと大著にして、一章のような噛んで含める調子を維持してほしかったです。続きを読む
posted by 9ki1to at 06:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする