2020年05月01日

価値の普遍性-25

職業としての学問、最初から28段落、MWG,S.95-97.
「もしも、或る国民集会の場で民主主義について発言するのなら、自分自身の〔政治的〕立場決定を隠すことはありません。はっきりそれとわかるように党派に参与することはまさに、当の場で否応なく課せられる責務です。使用される言葉は、このときには科学的な分析の手段ではなく、他の参加者の態度決定をこちらに向けさせるための政治的宣伝です。その言葉は、沈思黙考の土壌を掘り返す鋤ではなく、反対者を打ち負かす剣であり、戦闘具なのです」。
 あえて言うなら、ここには解釈学的な?循環が見落とされている。たとえ、科学的分析が一応は、事実分析で自足するとしても、それは政策の説得にかかわりうるのである。科学的分析が前提とせざるをえない価値判断を、政策提言も共有しうる。両者の関係は循環的なもの、もしくは共通の文化的価値(という生の連関)によって支えられるという、形式的には非論理的飛躍、実質的には修辞的説得というかたちをとるだろう。もちろん装いだけでも中立的でいられるような幻想を、ヴェーバーから汲みとってはならない。陶冶的な人格論はこのさいどうでもよい。
 文化哲学ということで一言挟めば、価値関係的普遍化学・価値関係的個性化学としての文化科学のことであろう。価値関係的普遍化学ということで、社会学や経済学が考えられているのだろう。臆言としてここに記す。
posted by 9ki1to at 05:12| Comment(0) | 価値 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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