2020年04月13日

価値の普遍性-21

ヴェーバーは社会科学的認識の客観性をどのように考えていたか。
「客観性」批判・安藤英治135頁。
ヴェーバーが見るところ、ロッシャ―にあっては法則的把握に対する信仰が前提されていた。彼にあっては「法則」は「客観的」と見なされる。ヴェーバーの時代に支配的であった客観性は、主観性と関係しえない客観性であり、ヴェーバーの展開したことは、この意味での客観性の意味転換であった。またそのさい、究極の実体に対する批判が念頭に置かれていた。
安藤英治・140頁「ウェーバーはつぎのようにいう。つまり、学問は、学問研究の結果得られる認識は「知る価値がある」という意味で重要なことである、という前提に立っているというのである。しかも、研究結果が重要であるかどうかについては、学問自体は答えることができない。「それはただ、人びとが、各自その人生の究極の立場からこの結果の意味を拒否するか、あるいは承認するかによって、解釈されうるのみである」という。
このように一定限の文脈で、ヴェーバーは価値の主観性を認める。すなわちヴェーバーは、人間の発想が、なんらかの価値意識に立脚していることを是認せよと要求する。こうして索出される客観性は以下の二点に要約されうる。
一、主体的創造としての客観性 創造という口当たりのいい言葉を安藤は使っているが、客観性を虚焦点として立てて、それに向かって努力せよ、といったところで、それほどのちがいがあるようにも思えない。つまり、客観性の到達のためには、反省的努力を要するというほどの含意しかもちえない。
二、緊張としての客観性 解釈学的循環でも勉強して、ヴェーバー君は出直してきてもらいたい。
という次第で、認識論としてヴェーバーが語りえたことは、きわめて些少である。
posted by 9ki1to at 16:03| Comment(0) | 価値 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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