2020年04月10日

価値の普遍性-18

安藤英治・承前105頁。
1909年、ウィーンの社会政策学会にて。「....存在すべきものと存在するものとの混同に対して反対するのは、私が当為の問題を過小評価するからでなく、まさにその正反対だからである。すなわち、最高度に重大な意味をもった問題、最大の理念的意義をもつ問題、ある意味において人間の心を動かしうる最高の問題が、ここで技術的=経済的生産性問題に転化して、国民経済学のような専門科学の討論の対象にされることに耐えられないからである」。ここでも、ヴェーバーの論述はあまりにも心情的である。重要度のある問題であるのなら、自らの立脚点を明らかにしつつ、むしろ積極的に討論すべきである。討論とは、ひとえにレトリカルなものだから、存在と当為の間で文脈が交差するであろう。しかしレトリックを含めた、論述の重みというものが、成否を明らかにするだろう。
価値判断のレベルの一致について、ヴェーバーがひたすら懐疑的であったようにも思えない(WL,S.463)。このように価値観の相克に留保を与えることで、リッカートとの通路も見えてくるであろう。
posted by 9ki1to at 05:59| Comment(0) | 価値 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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