2019年11月15日

スピノザとリッカート-2

Rickert, Heinrich, Spinozas Lehre vom Parallelismus der Attribute

 リッカートのスピノザ論が書かれた背景は、今一つ明らかでない。出所はシュトラスブルク大学図書館である。

 このなかで、スピノザ解釈の整合性より、むしろ一と多の矛盾、神的主観と人間的主観の両義性等の、問題が指摘されている。論調としては、物心の並行論的解釈から、両者の同位的相関に話が及ぶ。スピノザ解釈としては、エルトマン・フィッシャ―・トレンデレンブルク・ブラトゥシェックに追随しており、トマス的個体主義への特色はあるものの、出色の出来ではない。

 リッカートは神=実体を、論理的前提とするエルトマン、因果的原因とするフィッシャーを解説し、両者の限界を指摘して、属性をそれぞれ実体の本質とする解釈を指し示す。そして神の知性を規定力とするトレンデレンブルクを承けつつ、二元論的解釈を斥ける。ならば基体と様態の「一と多」の問題がここで出来することになる。途中、観念の観念(ブラトゥシェック)を、思惟・延長とは異なる属性とする解釈を検討し、それが無限後退になることを指摘する。畢竟、スピノザにおいてはごく内的な「敬虔」の問題として解決されるから、神秘主義の傾きをもたざるをえない。これには、人間の思惟を念頭に置く錯視が絡まってくるが、忘れてはならないのは、「(ゼーレ)」ということで無限知性の一部分(?)を考えるべきである、という点である。その錯視を回避しながら、自我の観念に相関的な延長たる身体、さらには自然という個体、誤った思惟の可能性等々の論点が検討される。因果的な人間の思惟への働きかけというアポリアに触れつつも、身心の根本的関係は、神について成り立つのであって、それゆえ人間には理解できぬのか、――そこに死の問題もかかわってくる――という有限主体と神の隔たりというリッカート的な問いかけで結ばれている。

posted by 9ki1to at 05:28| Comment(0) | 認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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