2019年08月22日

価値論としての解釈主義=2019/11/13=2019/11/15

 あえて解釈学というタームを使わずに、解釈主義というのは、その広袤を目してのことである。措定の哲学としてのカント哲学(シェーンリッヒによる賦活・パースの超越的記号論との対話)を中核にすえ、新カント学派・解釈学・現象学をその周囲に配する。
 新カント学派としてはリッカート・ラスク。リッカートは価値の非身体性に即した形で、価値の多元性を説く。つまり解釈仮説としての価値である。ラスクは認知主義的・理性主義的妥当理論の極限を示している。
 解釈学は生のカテゴリーに依拠することで、他者性の超越を、その媒体たる価値にとどめる。だから価値論としての解釈主義はすぐれて、存在論的/倫理学的地平に定位しているのである。もとより、実体的/無謬的な価値を措定するものではなく、理論仮説としての価値概念を探究できる。
 現象学はとくに、シェーラーに顕著なように、価値の位階をとく。このことは、必然的に価値アンチノミーを招き込むように思われる。そうしたアンチノミーを価値の淀みと呼ぶならば、淀みは多元的価値の自己解釈のために価値仮説を必要とするだろう。

 カント哲学の「承認」・記憶・取り戻し・隣人愛・ロゴス(普遍化)の問題系・・・彼岸としての他者
 新カント学派の「享受」・宗教的な次元で出会う他者・身体性の迷路・作品化・・仮説としての他者
 解釈学の「贈与」・誠実・自己/他者に対する義務・自己評価中立的な帰結・・・措定としての他者
 現象学の「交換」・現象学的社会学・文明価値と怜悧・合理性・パトス・・・・・定立としての他者

それぞれ、理論的要素と慾動的要素(情動)の双極的構造をなしている(理論的要素は情動の認知的反省をつうじて体系化されている)。この認知双極(ジェミニと呼ぼう)は強さをもっている。「承認」「交換」にあっては、情動的要素として動機がかかわる。「享受」「贈与」は情動もかかわるが、動機という情動がかかわらない。
理論的要素が価値判断である。
現実的な動機がかかわる場合、親近性・新奇性といった時間推転的様相を示す。それに対して時間固定的な内容をもつ/動機がかかわらないとき、時間的推転は仮想的シミュレーションのなかに折りたたまれる。
動機がかかわるとき、非帰結主義・帰結主義の二相が出てくるのに対し、動機がかかわらないとき、非帰結主義のみである。
posted by 9ki1to at 02:07| Comment(0) | 価値 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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