2018年06月16日

ディルタイの認知的契機の包摂=2018/9/18=2019/2/1=2019/12/31

 

 ディルタイ一九〇六-一九〇八年頃の全集24巻中講義Aでは価値とは「快ないし満足によって性格づけられる状態、この状態を惹き起こす対象、もしくは、欠如によって不快をもたらす対象」(Bd.24,A:S.33.)とされている (Vgl. Bd.24,C:S.213. =A.45.266.)。さらにディルタイは思考作用による統制を積極的に認める(Bd.24,A: S.20. Vgl. C:S.238.)。生のうちの「所与」が、価値判断においても重要なのはいうまでもない(Vgl.Bd.24,A:S.20-21.)が、思考は、感情や衝動に直接含まれる価値規定をたえず修正してゆく (Vgl Bd.24,A:S.19, S.22-23.)。ディルタイは価値判断/規則のGeltungを認め (Vgl.Bd.24, C:S.227,S.233,usw.)、〔現実判断ならざる〕価値判断は、現実の対象を前提にしつつ(Vgl.Bd.24,C:S.229,usw.)、相対的に生の連関から自由になってゆく。・・・ディルタイの思考は低次元レベルのそれである。述定的な高次のレジストリを行うわけでない。

GE.Bd.24,S.232.「もとづけの〔価値〕判断は、対象に含まれる価値可能性の輪郭を描く」。
S.232客観的価値判断は〔述語概念を〕充実せしめるのに十分な対象のうちに可能性として含まれている。
ref.S.224可能な主観への関係。
ref.S.234傾向という論点。
・価値を可能性に定位する見方がえられる。

posted by 9ki1to at 03:50| Comment(0) | 価値 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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