2018年06月09日

存在と価値の二元論=2018/9/17=2019/1/31=2019/12/31

 

事実から価値を導けない、と言われることがある。どういうことだろうか。価値的性質は事実的性質に還元されない。もちろん或る性質が別の性質に還元されず、それに付随するだけであっても、多様な各分子の質量と速度のいずれからも、気体が平均分子エネルギーEをもつことが導ける。しかしこの場合、事実的性質に非経験的な法則を適用して事実的性質を導けたのだが、どんな論理的操作を加えても、認知的にすぎない事実的性質から、情動的指令を含む価値的性質は導けない。

新カント学派的な存在と価値との二元論は、この点に与するとはいえ、やや事情は込み入っている。もとより事実判断(一次的な判断レベルの表象結合の強調)と狭義の実践的評価(二次的な判断レベルの態度決定の強調)とのちがい、さらにはかけがいのない個体の価値付帯性(判断内容としての価値関係性)と法則論的事物性(判断内容としての価値無関係性)とのちがいをもうけているものの、事実判断や事物性は理論的価値の認知(一次的な判断レベルの表象結合+二次的な判断レベルの態度決定)をまってはじめて成立する。とくにリッカートの歴史哲学的論考では、論理的価値関係性の議論と、評価的価値づけの議論が整理されぬまま、接合されていると言っていい。仮に価値判断の認知説が事実判断を価値判断の基底におくものであるとしたら、そのままのかたちでは新カント学派に合致しない。というのも、事実判断が価値判断を前提している以上、一見、循環することになるからである。そこで判断内容としての事物的性質(内容としての価値無関係性)と、判断形式としての表象準拠性(一次的な判断レベルの表象結合)とを区別しよう。前者は、事実的性質と価値的性質の対に対応するものであり、事物性から価値関係は導きだせぬという定式化を得ることができる。新カント学派は、評価的/実践的に意義あるものとして価値的性質を撰取した。後者は、表象結合の強調と態度決定の強調の対に対応するものであり、結合するかたちにおいては、理論的価値の認知、分離するかたちにおいては、実践的評価の決定という、二様の映現をする。したがって認知的レベルの、二重判断の結合を強調すれば、新カント学派は認知説に傾き、評価的レベルの、二重判断の分離を強調すれば、それは情動説に傾くという次第になるのである。

一般に認知説といった場合、価値的性質(対象の価値付帯性)の認知にかかわり、それは理論的に措定される場合を念頭に置くから、――ここで先の選択肢を交叉させれば――価値判断の認知説は、価値的性質(判断内容)の二重判断的措定(判断形式)という新カント学派の立場と整合的に理解することが可能である。高次認知的情動は、認知的要素と情動的要素をもっている。前者は価値判断における二重判断の結合と、後者は二重判断における分離(評価の主題化)に足並みをそろえる。高次認知的情動の「命題的態度」は、言わば表象結合態として所与となり(Nonrepresentative-argument)、メタ的な反省として価値的性質を、妥当する命題内容としてかたちづくり、「価値判断」が構成される。



 根源的価値命題に価値は反逆することがありうる。妥当命題は、すべからく生成しなくてはならない。
 非自然主義的な認知説と、情緒主義的な態度決定説が混在している。直観レベルの照会(照会的選好)を反省レベルの不変化が統制してゆく。前者が態度決定的であり、後者が認知説的である。もちろん両レベルで反照的均衡が成り立っていなければならない。
posted by 9ki1to at 12:22| Comment(0) | 価値 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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