2017年05月30日

フィヒテの多様性/差異=2017/5/30=2017/6/6=2017/10/30=2017/11/2

 もとより権利問題においては、自己の自立性と異他的な強制とは調和しています(「……自我が自己を自由な者として思惟するとき、反省においてばかりでなく、行為においても自由でなければならないという強制を、自我は自立性という自らに固有の概念に依拠しつつ優先的に受容する……」中川明才,2016,52ページ。GA,I/5,S.63. )が、顕現は、他の媒介により逸脱を可能性として含んでいます。
 『知識学の諸原理による道徳論の体系』における感性界中の、自由への系列を想起せよ(GA,I/5,S.141.)。理性的存在者に内在し、彼を一定の行為へと規範的に方向づける道徳的なものは、その発現が必然的であるがゆえに自然的なのです(GA,I/5,S.33.)。 フィヒテ文献は汗牛充棟の観がある。・・・フィヒテから新カント学派社会主義への架橋が課題。
posted by 9ki1to at 04:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 様相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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