2020年05月16日

価値の普遍性-27

段落36、MWG,103f.
手段-結果関係を教えるのが、科学の存在意義である。その考察されるべき連関のなかには副次的な結果も含まれる。その因果関係を教えることにヴェーバーは意味を見出す。ただ、結果の是か非については科学は沈黙する。・・・だがそうした是非を論じることをヴェーバーはしりぞけているのではない。ということは、科学的領分と政策提言の部分は地続きであるということだ。ただし両者の区別を対自的に、ヴェーバーは要求する。さほど、目新しい議論ではない。
カントへの野崎の言及は、その形而上学批判の文脈と、経験知の権利付の文脈を、てぎわよく区別できていないところが按配に欠ける。当該段落のtheleologica positivaの論点は、レーヴィット参照のこと。
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2020年05月05日

価値の普遍性-26

野崎敏郎、二二四頁註解。
BewertungとWertungの訳語にかんして。野崎は前者を価値査定と訳し、事物の評価を定める判定行為一般とする一方で、後者を価値選択と訳し、実践的な性格をもつ決断と解する。Bewertungは、Beurteilungからの連想からして、価値判断・価値判定(何々ついてbeの価値判定という含み)と訳したい。またWertungは、理論的な価値関係Wertbeziehungと区別する意味で、評価と訳したい。評価の相対性が、第30段落MWG,S.98f.に述べられているが、社会的な党派のなかにおいて、評価が共有されることはよく見られる現象である。価値判断の普遍性のみならず、究極的には、評価においても普遍性に至る場合はありうる。評価というものが情動的であるとするなら、人間の生活史的な基盤に評価がなりうる、という論点が見過ごされている気がする。
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2020年05月01日

価値の普遍性-25

職業としての学問、最初から28段落、MWG,S.95-97.
「もしも、或る国民集会の場で民主主義について発言するのなら、自分自身の〔政治的〕立場決定を隠すことはありません。はっきりそれとわかるように党派に参与することはまさに、当の場で否応なく課せられる責務です。使用される言葉は、このときには科学的な分析の手段ではなく、他の参加者の態度決定をこちらに向けさせるための政治的宣伝です。その言葉は、沈思黙考の土壌を掘り返す鋤ではなく、反対者を打ち負かす剣であり、戦闘具なのです」。
 あえて言うなら、ここには解釈学的な?循環が見落とされている。たとえ、科学的分析が一応は、事実分析で自足するとしても、それは政策の説得にかかわりうるのである。科学的分析が前提とせざるをえない価値判断を、政策提言も共有しうる。両者の関係は循環的なもの、もしくは共通の文化的価値(という生の連関)によって支えられるという、形式的には非論理的飛躍、実質的には修辞的説得というかたちをとるだろう。もちろん装いだけでも中立的でいられるような幻想を、ヴェーバーから汲みとってはならない。陶冶的な人格論はこのさいどうでもよい。
 文化哲学ということで一言挟めば、価値関係的普遍化学・価値関係的個性化学としての文化科学のことであろう。価値関係的普遍化学ということで、社会学や経済学が考えられているのだろう。臆言としてここに記す。
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