2020年02月09日

遡及入力

 書き散らかした部分の改訂を行います。
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再較正・認知主義

 認知は表象を媒介する。そうである以上、たとえ妥当の「かかわり」と言うことがあり、さらに「迎い入れ」のフィルターが効くとしても、結局のところ、内在的表象の操作から、外界の状況をシミュレートして、認知的状況を較正してゆくと言うことになろう。直観的受動-理性的能動の折合わせで営まれるシミュレーションを、認知的感応と把握し直すというイミで、先の情緒的決断主義と非自然主義的認知主義とのバイメタルを、シミュレート感応説と名づけておこう。これに関連して「環境の表象」と「自分の多数の選択肢の表象」とを内在的領域に形成しつつ、シミュレーションを行うところに、ポパー型生物の特徴がある ( 戸田山和久、二〇一四、二六四頁 ) 。それに引きつけて、合理的認知たる当為 ( 妥当の派生態 ) の「迎い入れ」を考えてみたい。加藤泰史の言い方をもじれば ( 加藤泰史、二〇一四、一五二頁 ) 、当為の次元を開示することで規範的次元を切りひらき、――妥当という超感覚的存在 (「かかわり」を呼びかける価値 ) を介して、――第一次的な「相在」からはもとより、第二の自然という「作為」[=Faktum] からも、効力をもたらす規範にしたがうことが、狭義の価値判断 (「道徳判断」・「述定的な価値判断」) ということになる。

 この認知主義的構図が成り立つためには、命題価値が、認識を担う状態と動機づけを担うふたつの状態に働きかけることを要する[1]

 ここでは、いかに価値合理性に見合った再解釈として再較正が成り立つのか、素描しよう。高次認知的情動それぞれに、はたまた認知的信念に、特有の身体的反応が伴いうるか、と問うてみよう。このことに関連して、身体性の反応によっては、認知的構成要素が一義的に精緻化されるわけではない、という論点がある。認知的状況が「再較正」( recalibration )によって、情動・信念の種類が決まってくる、というわけである。較正とは、或る「探知器」に反応する情動について、「或る探知器で測ったらAだったのに別な探知器ではBになる」という外見上の不一致を避けるよう、共通の基盤を探し、それぞれの探知器の追跡を把握することである。例えばネズミは過去の状況によって、餌を得るよう因果的に条件づけられているが、そのために餌の場所まで泳ぐというようには、条件づけられていないとする。後者の認知的条件下では、例えば「餌を得よう」とする情動が、「泳ぎ」を促す情動として修正をこうむる。例えば通常の身体性の「怒り」は、或る種の認知的判断の状況下では、「不貞」に関する判断への反応として生じた「嫉妬」となる。例えば通常の身体性の「快感」は、反省を潜り抜けることによって、「幸福感」として再較正される。このように別の認知的状態のもとでは、別の情動・認知を構成する。判断の例にひきつければ、何度も出した、「金が100gある」という命題価値の認知が、傾向性をつうじて因果的に動機づけられる ( 傾向性経路 ) のに対し、同じ因果的メカニズムとの規約的結びつきによって再較正され、「この金は60万円である」という価値判断の理由となる ( 理由づけ経路 ) 。こうして因果的に獲得された本来の身体性の情動からの逸脱も、さらなる再較正によって――場合の拠っては理由を交え――説明されうる。認知的状態による決定は、再較正を積み重ねて、身体性の評価が帰属する情動・価値判断の種類にまで及ぶ。そうだとすれば、「ドクサ」は、認知をとおして、おのおのの特色をもつことになろう。それによって、過去の経験に拘束されずに、――例えば餌の場所まで泳ごうという具合に、――新奇性に感応した選好をする、というわけである。ここでは詳論しないが、非帰結主義や探索概念といった新しい価値判断形成の要素を考えることができる( F.・ドレツキ、二〇〇五、第六章2 .)。


[1] 詳しい分析は、信原幸弘、二〇一六、三○四-三○五頁に委ねる。認知機能の分化ということは、ヴェーバー的な合理化と並行している。

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