2018年12月29日

記述と機能・マンドリン事例(3)=2019/11/13=2019/12/31

 マンドリン事例の意図の解釈性について。マンドリン事例には、まだ意図と言えるものがある。それは、作者エラリー・クイーンの意図である。彼にとってのマンドリンの機能・記述は何か。凶器?鈍器?いや「巧妙な凶器」と言うべきであろう。作中人物とは違う次元で成り立つこの意図は、読者との間で共有される。
 ここで読み取るべきは次の二点である。
@ 作中の凶器・鈍器・楽器という意図と、作者の意図が「逆立」するところに、「巧妙な凶器」の「技巧的」価値が生まれる。この内包に即した新しい価値の策出は、九鬼が「ひねり」と呼んだものと対応する。
A ティーパーティー事例における、後知恵でこしらえた、「無難さ」・「冒険」といった記述は、一応、現実のシミュレーションとして理解されうる。だがしかし、ティーパーティーの解釈の技巧性は、上の「解釈性」と類似してくるのではないか。つまり、虚構のフィクションをいかに解釈する問題と、現実をいかに解釈するか、という問題の類似性である。先に、解釈性とあえて虚構性という表現を使わなかった所以である。フィクションとシミュレーションに通底する解釈の要素を、「解釈性」とあらたに定義したい。つまり、フィクションとシミュレーションの未規定部分解釈問題を、「解釈性」という共通の発想で捉えたいのである。このように考えると、現実の未規定部分解釈問題、つまり意思決定問題は、フィクションとつうじる部分をもっていることが明らかになる。これを現実のフィクション化という反自然主義的構図によって収めたい。とくにその例示として、ティーパーティー事例のマンドリン事例化を掲げることにする。
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2018年12月20日

記述と機能・マンドリン事例(2)=2018/12/27=2019/11/13=2019/12/31

 Yの悲劇の場合、殺人立案者と、殺人者が違う。殺人立案者のシナリオに従って、殺人者はマンドリンで殴打して殺す。ただしそのさい、シナリオの「鈍器」を誤解して「楽器」を、マンドリンに当てはめている。
 このさい、三つの機能・それに対応した意図が考えられる。
 マンドリン製作者の楽器としての機能・記述は楽器になる。
 殺人立案者の鈍器としての機能・記述は鈍器となる。
 殺人者の凶器としての機能・記述は凶器となる。
 ここで解釈のもつれを逸脱性と呼ぶなら、殺人立案者は、殺人する意図はもたないが、マンドリンは凶器であり、鈍器である。殺人者は殺人する意図をもつが、マンドリンは凶器であり、楽器を誤解した意味において、鈍器である。
 では「意図によって、本来の機能が確定する」という立場に立つのなら、マンドリンは何と記述されるべきなのか。この殺人劇では、マンドリンは凶器であり、かつ、「不透明な意味」での鈍器というべきではないか。
 もし、逸脱を強調するなら、ここで、解釈の重畳性はなりたたない。しかるに逸脱のなかで共通性を探ってゆくなら、凶器かつ不透明な鈍器において、解釈の重畳性が成り立つのである。ただしこのような危うい一致が成り立たぬなら、一致なき逸脱性が、この場合で見られるということになる。
注意:Yの記述の偏見的表現に与するものではありません。
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2018年12月10日

記述と機能・ティーパーティー事例=2019/2/1=2019/11/13=2019/12/31

 記述を拡張された選択肢にもちこむと独立性が侵犯されることが知られている。記述を含んだ選好に、独立性を追求する試みを考えたい。これはあるていど、帰結に本来的な機能をもちこむ試みに一致する。
 センのティーパーティーの事例を状況的人工物の例に改作する。x;自宅の椅子 y;友人宅のティーパーティーの参加券 z;吸引するコカイン。
{x,y}ではyが選ばれ、{x,y,z}ではxが選ばれるとき、無難(y)=無難(x)という内包的に独立な選択が選ばれている(外延的には独立性は保たれない)。
{x,y}ではyが選ばれ、{x,y,z}ではzが選ばれるとき、遊興(y)=遊興(z)という内包的に独立な選択が選ばれている。
yに無難か遊興か、いずれかの記述を与えることは、選択者の意図に委ねられている。このように考えて、内包の整合性を追求すれば、ティーパーティー事例は、独立性への反例にはならない。
補足:
{x,y}ではyが選ばれ、{x,y,z}ではyが選ばれるとき、人を選ばぬ社交(y)=人を選ばぬ社交(y)という内包的に独立な選択が選ばれている
{x,y}ではxが選ばれ、{x,y,z}ではxが選ばれるとき、自閉(x)=自閉(x)という内包的に独立な選択が選ばれている
{x,y}ではxが選ばれ、{x,y,z}ではyが選ばれるとき、気まぐれ(x)=気まぐれ(y)という内包的に独立な選択が選ばれている(外延的には独立性は保たれない)
{x,y}ではxが選ばれ、{x,y,z}ではzが選ばれるとき、反社会社交性(x)=反社会社交性(z)という内包的に独立な選択が選ばれている

これらの照会的な記述のうちで、優劣ということを考えることができる。そのさい働くのは、選好充足的な考え方に、解釈学的(反照的均衡的)な循環を持ちこむ議論である。
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