2018年05月05日

情動の認知説18=2018/8/31=2019/1/31=2020/2/9

「はらわたが煮えくりかえる」邦訳p.10
ヌスバウムもストア派の考えにしたがい、情動を、「価値負荷的な見かけ」を承認する判断と定義している(Nussbaum,2001)。価値負荷的な見かけとは、出来事を価値づける解釈のようなものである。たとえば、家族の誰かが死ぬことは、繁栄が困難になる重大な損失とみなされるかもしれない。ここまでは通常の認知説だが、私が理解した限りでは、ヌスバウムはさらなる要件を加えている。その要件とは、見かけが価値負荷的なものであるためには、その見かけが正当化されているという趣旨の別の判断が形成される必要があるというものである。この主張のために、彼女の理論は単なる認知説ではなくメタ認知説になっている。つまり情動には判断についての判断が必要なのである。
同p.39
認知説はすべて、情動に含まれている認知的要素は身体変化と同一でないし、身体変化を記録する内的状態とも同一ではないと主張している。なかには、情動は何の身体的要素なしに生じうると主張する認知説もある(Nussbaum2001,Solomon1976)。
同p.58
彼女によれば、情動とは、〈われわれの評価的判断は正当化されている〉という判断である。例えば恐怖は、〈自分の福利を脅かしているものがあると信じることが正当化されている〉という判断になるかもしれない。
幼い子供や幼児が情動をもつためには、高度に洗練された認知の観点から、情動を定義できない・価値判断に到達できないことを示している。
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posted by 9ki1to at 05:38| Comment(0) | 価値 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする