2018年01月14日

科学哲学と価値・帰結性(親近性)14=2018/3/31=2019/1/7=2019/7/21=2020/3/28

 柏端達也、前掲書、192ページ。


選択肢の良し悪しは、結局のところ、それがもたらす諸結果の価値や良し悪しによって定義できるのではないか。

 帰結性は、親近性感応的な情動のメルクマールである。もしくは述定的価値に親和的な、価値体系に即している。これをもとに考えてゆけば、価値の推移性を一定限度まで説明できる。ただし船酔いや、ふしだらさにも負の価値を認めうるか、という問題は、形而上学的必然性がかかわるデリケートな問題である。

 注意:書名・宣誓というより後なるものは、芸術的価値のコンセプト的部分にコミットする要素である。こうした外在的要素でさえ、――貨幣の基盤と同様、記憶にレジスターされうる。・・・これは外在的価値の些末な例。撤回。

帰結主義的に振る舞っているつまりでも、解釈のちがい・価値の文脈依存性という事柄が出てきた場合、いったん未確定領域と同様の扱いがされるのではないか。功利主義はそうした新しい局面に有効とは思えない。
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posted by 9ki1to at 02:39| Comment(0) | 価値 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月04日

科学哲学と価値・妥当性10=2018/1/13=2019/1/3=2019/5/29=2019/7/21=2020/3/24

 シェーンリッヒからの引用。シェーンリッヒ・G、2017、「哲学的価値理論のオプション」加藤泰史編『尊厳概念のダイナミズム』法政大学出版局、21-64ページ。


41ページ。さきに述べたとおり、価値の自立性は、価値が価値評価者S(厳密には、Sの或る特定の役割)に依存していると考えることを排除しない[シェーンリッヒの原文脈では自立性は、非依存性を含意しない。]。xの価値としての妥当性はそもそも価値評価に関係づけられることによってのみ定義されうるという主張は、xの価値は価値評価者の態度によって定義されるという価値主観主義の主張よりは弱い。しかし、前者の主張は、それでも強い。というのも、そこで是とされる依存性によって、価値が評価者Sの現実的態度に依存しているとは考えられぬからである。〔中略・価値評価者の態度を持ち出さず価値評価に関係づけられるなら、現実の態度に依存することになる。しかしここでもちだされるべき依存性は、現実の態度に依存して価値が妥当しなくなったりするようなものではない。〕
 それゆえ、「xが価値としては妥当するのは・・・」という表現は、次のように条件法で表現しなおされなくてはならない。
xが価値として妥当するのは、Sが内容xに関して賛成的態度ψをもつであろう、まさにそのときである

 中略・・・客観に根拠を認める傾向性理論のヴァージョンはみずからに対して、価値という性質の内在性に固執できる利点を要求する。なぜなら、xの傾向性は内在的性質と見なされるからである。xが価値をもつことは基本的にxの性質しだいである。それは、一個の砂糖が水の中に入れられると溶けることが砂糖の分子の性質によるのと同じである。水は砂糖の傾向性にとって誘発因にすぎない。この外在的な関係は、水溶性という砂糖の傾向性の内在性(注記:傾向性、すなわち価値的性質とは限らぬ)を疑わしくはしない。それと同様のことが〔対象の〕価値評価者Sへの外在的関係にもあてはまる。
 ・・・自発的に発生する価値表明・高次の傾向性による積み重なり・隠れたメカニズム・逸脱したプロセス・隠れた傾向性といったシナリオが考えられる。これらのシナリオにおいて傾向性に「正しい」価値表明が対応しないのは、価値評価者Sがある価値に反対態度で応答したり、あるいは反対に、無価値に賛成的態度で答えたり、あるいはそもそも無関心に振舞ったりすることがおこるからである。・・・目下、傾向性には加担できない。
傾向性理論は、それがどのようなヴァージョンであろうとも、価値に対して根拠に依拠して自由に振舞うという想定と一致させるのが難しい。[妥当せしめるのは遡言的解釈によって可能である。]しかし、とくに傾向性理論は誤った価値判断の問題に直面する。[因果的な語り口のみを許せば難問に直面する・・・解釈として遡言を認めれば、遡言の不滑によって、誤った?価値判断を除外できる。]
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posted by 9ki1to at 04:07| Comment(0) | 価値 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする