2017年12月31日

科学哲学と価値・新奇性9=2018/1/3=2019/1/2=2019/5/29=2019/7/21=2020/3/14

 例えば「こちらの顔がより好き」と本人が自覚するよりも先に、眼球運動のパターンの予兆が認められることは、無自覚的な選好があることを示唆している(下條信輔、2008、『サブリミナル・インパクト』ちくま新書、25ページ以下)。ただし、因果帰属が明確になされず、遡及して因果帰属が為される場合がある。・・・その遡及が、意味適合的に、価値がコミットしている場合もある。とはいえ、外延の選好レベルの傾向性は、内包と相対的に独立である。

 ところで選好は、新奇性と親近性に大きく左右されると言う。また顕在的情動が新奇性にかかわるのに対し、潜在的情動が、親近性にかかわるとも。これは新奇性感応的な顕在的情動と、親近性感応的な潜在的情動(後者は情動をはみ出して価値に寄り添うことになる)とに分岐するわけである。下條からの引用をもって語らしめる。

さて、音楽のような聴覚刺激の場合、赤ちゃんの視覚やクロスモダル(感覚間)の場合、おとなの視覚の場合と、いろいろ見てきました。共通しているのは、古い覚えのある刺激の方が魅力的になるという主張(親近性原理と呼びましょう)と、新しい刺激の方が魅力的という主張(新奇性原理)とが、両方あるということです。言うまでもなくこの両者は論理的な意味ではもろに対立しているのに、です。
 前掲書89-90ページ
 要するに、新奇性を好奇心によって「探索」するわけである。そのことの妥当性は、認知科学によって証拠立てられている。
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2017年12月26日

科学哲学と価値・単調性6=2018/1/1=2019/1/2=2019/5/3=2019/7/21=2020/3/10

 選好(首尾一貫したかちでは、較認的価値)は、新奇性と親近性に感応する。このことを非帰結主義と帰結主義に関連させて論じよう。

 そのためには「拡張された選択肢」を導入しなくてはならない。相互に排他的で、結合すれば網羅的となる帰結xの全体集合をX(X∋x,y,z, ……, n(X)をXの要素の数とすると、3≦n(X)<∞)と、Xの非空な有限部分集合全体の集合族をKとする。Kの要素はA,B,C,……によって表わされて、それぞれ機会集合と呼ばれる。ここでXとKの直積X×Kの要素(たとえばx∈Aで直積(x,A))は「拡張された選択肢」と呼ばれる(鈴村興太,2009,310-311頁)。このとき、「拡張された選択肢」(x,A)に「Aからxを選ぶ」という解釈を与える。

 これらの道具立てで、たとえば、(x,A) (x∈A)と (x,B) (x∈B)を比較してみよう。帰結主義者、もしくは親近的な情動に左右される人は共通の帰結xを実現したいとき、「Aからxを選ぶ」と「Bからxを選ぶ」のどちらを選ぶだろうか。親近性に固執するなら、価値体系に準拠して、A,Bという機会集合と関係なく、両者を無差別に扱うだろう。これはつまり、「A からxを選ぶ」ことと、「Bから xを選ぶ」こととのあいだの選好に、差異が生じないという帰結主義的な見方である(極端な帰結主義,鈴村興太郎,2009,313頁,定義4.1)。たとえばA店でもB店でも確実にカレーを食べられると分かっているなら、いずれで食べるかにかんして、客の選好の差異は生じない。

 ところでリスク下「拡張された選択肢」どうし、(x,A)と(x,B)とでは、n(A)>n(B)ならば、機会集合の豊富な前者の方がxの実現する確率が低い。フォン=ノイマン・モルゲンシュテルンの定式化では、効用が一定なら確率が小さい選択肢ほど期待効用は小さくなるから、「目的合理主義者」、もしくは体系的価値準拠者は豊富な機会集合の「拡張された選択肢」を選好しない(馴染みの親近的なものを撰取する)。たとえば、おのおの同じ分の当たりくじが入っている二つの袋があるなら、「帰結主義者=目的合理主義者」は全体のくじの少ない袋から選ぼうとするだろう。これは認知的には搾取志向ということである。

 これとはちがったタイプの選好をする人はいないだろうか。正反対の立場の人を、「非帰結主義者」と呼ぶことにする。親近性に対して、新奇性を情動のメルクマールとする行為者である。彼女/彼はいま、食事をとろうとしている。二つの料理店があって、何がメニューに載っているか知らないけれども、A店の方がB店よりもメニューが多いこと(n(A)>n(B))を知っている。そのとき彼女/彼は「拡張された選択肢」(x,A)(x∈A)を(y,B)(y∈B)より厳密に選好するとする(極端な非帰結主義,鈴村興太郎,2009,319頁,定義5.2)。けだし機会集合が豊富なほど、新奇性が満たされるからである。これは認知的には探索志向ということである。

 この論点を補足する、いくつかの前提に触れよう。グラヴェルは、ある帰結をaとする行為の選択肢の集合{a}からaを選ぶより行為の選択肢の集合Aからa(∈A)を選ぶ、したがって Aの方が、選択肢の多さを「享け」(enjoy)られると論じた。同様にA⊇Bのとき、「Aからxを選ぶ」方が「Bから yを選ぶ」よりは乏しくない「自由」があると考える(Gravel,N.,1994,p.455)。そして「自由」度に対応した選好を公理化している(Gravel,N.,1994,p.456)。つまり、A⊃Bのとき、「Aからxを選ぶ」方を「Bから yを選ぶ」より厳密に選好する、と。なおゴティエ前掲書では以下のごとき単調性の説明が見られる(D・ゴティエ,1986,59頁)。

「いま二つのくじXとYがあり、両者がただ一点でのみ異なっている場合を考えてみよう。すなわちXにおける景品(ないし諸結果)のうち一つのPが、Yにおいては別の景品Q(もちろんQの蓋然性はPのそれと同一とする)で置き換えられているとする。単調性は、もしQがPより選好されているならYがXより選好されていることを要求する」。

 そのさい帰結PとQとの蓋然性の等しさを無視し、単に「多様性というべきもの?」にのみ注目すると、以下の鈴村興太郎,2009,324頁の単調性の定義となる。

[単調性Monotonicity]機会集合がA⊇Bのとき、「Bから yを選ぶ」より「Aからxを選ぶ」方が行為者により選好されると公理として定義する。つまり新しい状況Bから新奇に映るyを選好するのである。
(Bからxを選好する場合も、新しい状況での新しいxという意味をもつ。)・・・この論点を、行為遂行経路における時系列的な可能性拡大として捉えたい。

 ところで、いま挙げた単調性の代わりに、(独立性(IND)と単純な無差別性(SI)をベースにして)局所的な無差別性(LI)をとる公理選択の道もある。それをとるとき、導き出される極端な帰結主義とは別の方途として、公理に(同じく独立性と単純な無差別性とともに)、〔局所的に厳密な〕単調性(LSM)と、選択のない状況の無差別性(INS)――(x,{x})、(y,{y})のように、ひとつの選択肢のみを含む機会集合から、二つの拡張された選択肢のいずれかを選ぶ状況に直面したとき、所詮、選択の自由を与えられていないのだから、行為者はこれらの選択状況で無差別の選好を示すという公理――とを置くとき、前掲した「非帰結主義者」が導き出されると言われる。

 機会集合とは選択にさいしての、可能な選択肢である。したがって「非結主義者」は、背後に控える可能世界が豊かな状況を選好するのに対して、「帰結主義者」は現実の状況のみ*に依拠する(これは正しくない・機会集合の可能的帰結の選択と言う問題は残る)。前者が新しいもの(情動の新奇性感応に対応)をカヴァーすることを眼目とするのに対し、後者は、既存の選好を中心としたから拡張しないままの価値体系に準拠するのである。
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2017年12月25日

科学哲学と価値・価値の種差5=2018/1/11=2019/1/2=2019/5/3=2019/7/21=2020/3/8

 情動の相関性が由来する、「ポジション」を考えたい。慾動的と当為的な、ノエマ・ノエシスが成立するはずである。もとより、その外延を意味的にとりだせば、強固な実在論を組み立てることもできよう。前者は受動的/後者は能動的という違いである)なメカニズムに由来する較認的価値を反省して解釈する照会的価値(魅了・驚嘆という情動に対応・照会的価値は較認的価値を裏付ける)が一対。プロ・アティテュードとなる較認的価値に対して、照会的価値はプロ・アティテュードにならない。これらを記録すれば、期成的価値・述定的価値(対自化された価値基準をフィードバックとして 取り込んで成立・述定的価値は期成的価値を裏付ける)が二対目となる。プロ・アティテュードとなる期成的価値に対して、述定的価値はプロ・アティテュードにならない。

慾動的価値(較認的価値・期成的価値)を反省的に裏付けるのが当為的価値(照会的価値・述定的価値)ということになる。

 情動には、洗練された観点・技巧的な観点(要するに照会的に嗜好・趣味がよいかどうか)から優劣が問われることにより、価値判断へと蝉脱する。このことは、較認的価値の場合でさえ、安定した照会的価値の裏付けが必要であるということである(価値判断である以上、単独の選好によって支えられるということはない・価値判断にとって体系性が必要)。


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2017年12月24日

科学哲学と価値・相関性3b=2018/1/1=2018/6/21=2018/12/8=2019/2/22=2019/4/27=2019/7/21=2020/3/3

 相対性と相関性はどう違うのか。相関性が見られるのは、美や選好(較認的価値を広い意味でとるが、そのさい一般的な価値体系を照会すると考える)といった先取・後置が見られる価値である。

 ここで源河亨の考察を見てみよう。美的性質は非美的性質に存在論的に依存している、と源河は言う(源河亨、2017、『知覚と判断の境界線』慶応義塾大学出版会、173ページ)。これを汎化して、価値的性質は事実的性質に付随するものとしておきたい(解釈的要素を考慮しなくてはならないからである)。

「たとえば、細い線で描かれて薄い色が使われている作品は典型的には繊細さをもつが、そうした特徴をもつすべての作品が繊細さをもつわけではない」。

 しかるにただ、そうした非美的性質だけでは、美を感得するには不十分で、「趣味、洞察力、感受性」といった、「個人的な好みや嗜好ではない」契機が必要である(シプリーの論点、源河、175ページ)。あらかじめ言っておけば、嗜好や趣味も記述関数によって不変項?に接続できると考える。
補足:現象的な美的性質は、非美的性質の集まりが特定の与えられ方をすることによって意識に現われるものである。与えられ方は対象の性質ではないため、現象的な美的性質は対象ではないことになるが、知覚に現われる美的性質?は美の根拠になりうる。
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2017年12月23日

科学哲学と価値・相関性3a=2018/1/1=2018/6/18=2018/12/12=2019/2/22=2019/3/29=2019/7/16=2020/3/3

 価値の相関性ということは、客観性と相矛盾するものではない。ちなみに相対性とは柏端達也、2017、『現代形而上学入門』179ページ参照。相関性は相対性の背後に不変的な関数関係(客観的実在を考えずとも)を想定するものである。

★相対性:対象xは、aにとってFであるが、bにとってFでない。

 このことは、例えば、25℃という出来事はで見てみよう。Aさんにとってやや快適な温度だが、南国生まれのBさんにとって、やや活動を刺激しない(A・Bにとっての価値観・性向にかかわるインデックス=記述関数fS(x,U)に表現されている。fSは対象x,状況Uに対する記述を示す。)・・・やや不快な温度であることが例となる。(ただしこの例は情動と言うべきであり、価値判断ではない。)

 ここでセンのポジション依存性との類似性を追求できる。すなわち岡山人にとってはまだ夜明け前なのに、東京人にとっては夜明け後である、という例と((x,U)との対応を追求するかぎり、)似ていなくもない。ポジション依存的客観性が、太陽と地球との普遍妥当的出来事をベースとしつつ、つまり不変的な関係を前提として、岡山人・東京人にとっての相対的現象に付帯する。それと同様にポジション依存性が、25℃という出来事を前提にして、Aさん・Bさんにとっての記述に付帯する。(選好特有の認知基盤のないことから、完全にポジション依存性に依拠することができるようには思われない。)

★ センのコカイン忌避。行為者iが帰宅途中、あまり親しくない友人から、ティー・パーティーに招かれたとする。行為者は、この招待にさいして、友人の家に行ってティー・パーティーに興じる(x)か、帰宅する(y)という2つの選択肢の前に立たされて、選択肢xを選ぶ気になりかけていたが、その友人はこう言葉を継ぐのである。「ちょうど高品質のコカインが手に入ったんだがね……」と。こうして新たに、友人の家に行ってコカインを吸入する、という選択肢zが行為者iの視野に入る。このことで選択問題の様相が、{x,y}からxを選ぶことから、{x,y,z}からyを選ぶことに一変する。

 このさい、どういうポジション依存的客観性が変わったのだろう。詳細は省略するが、このさい独立性(くわしくは鈴村興太郎、2009、311-312ページ)が侵犯されているという見地に立てば、zは{x,y}からの選択に影響を及ぼしていると思われる。このさい、無難さという不変的な関数関係を想定する、という途が一つ。もしくは、zがくわわった時点で、記述がまるまる変わってしまい、新たな価値の論議領界が生まれたとする、という途も考えうる。(新たな価値生成ができたと思えるほど、センの例はドラスティックではない。この点、芸術における新奇性と異なってくる。)
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posted by 9ki1to at 06:17| Comment(0) | 価値 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月21日

科学哲学と価値・傾向性2=2018/1/1=2018/6/18=2018/12/7=2019/2/21=2019/3/16=2020/3/3

 ある傾向的性質をもつとは、一定の条件下で決まった種類の特徴を発現するということである。すなわち

★個物xは傾向的性質Dをもつ⇔もし適切な条件Cのもとで出来事Tが生起したならば、xに出来事Mが生起する。

 このさい規範的な機能を負わせることは、準自然的性質である場合にかぎられる。裏返せば、当の傾向性が発現するには、どうしても状況Cのもとでという制約は必要である。ここでのCは、ただちに相対性と誤解されてはならぬ。このことに配慮しつつ、傾向的性質の内実を探ってみれば(準自然的な場合のみ)

★個物xは傾向的性質Dをもつ⇔∃Φ(Φ(x)&傾向的性質Dの因果的基盤である(Φ))

 規範的側面?に今は、注目しているので、因果的な意味に対応するDよりもさらなる条件を課している。マンドリンは機能として、楽器となるが、さらには鈍器にもなる。(鈍器になるのは、製作者と使用者のコミュニケーション?が齟齬をきたしている場合である。)

 「この泥の皿は展示会場のアーティストのケイにとっては、芸術的な価値をもつ」、という関係的性質は、「この泥の皿は、展示会場のアーティストに対する照会的な芸術刺激をもつ」という性質を相補的対としてもつ(それはもはや傾向的性質ではない)。もしくは「この泥の皿が、合理化された善をもつ」という性質は、「この泥の皿が、ケイにとって芸術的選好を帯びている」という関係的性質と相補的である。
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2017年12月19日

科学哲学と価値・関係的価値=2018/1/1=2018/6/18=2018/12/7=2019/2/21=2019/3/14=2020/3/2

 価値が性質だとして、V(a)におけるV?=valuationだとしても、この記法だけでは、価値を実念論的に捉えているのか、唯名論的に捉えているのか、わからない。ここでは態度表明として、Vは一応、命題価値に対する賛成的態度価値的性質を捉えた記述である、と言っておこう(aはapperanceである)。ここで外在性に触れておくことにする。

柏端達也、2017、『現代形而上学入門』159-160ページ。
★性質Fは、それが帰属する対象の外部に根さしている。⇔任意の対象xについて、以下のことが必然的に成り立つ――すなわち、xがFをもつのは、xとは完全に別の偶然的対象が存在するときにかぎる。

 端的に言って、性質Fをもつために別の物体の存在が必要なら、Fは外在的性質である。

 より洗練すれば

柏端達也、2017、『現代形而上学入門』163ページ。
★Fは外在的性質である⇔対象xが性質Fをもつからと言って、Xの完全な複製x'もFをもつとは限らない。

 柏端は貨幣価値の例を以て、外在性を強調する。百円玉の価値を決めるいくつかの要素は環境に内在しているものの、造幣局その他、大蔵省等、決定的な要素が遠く離れたところにある。ところが、十全な百円玉性は、知覚によって認知できるとも思えない(このことは外在性を示唆する)。

 万年筆が象牙であれば目的としての価値が賦与されるように、商品のもつ貨幣価値は外在的に「賦与」される(第二の自然)。詰まる所、外在性は対象の「機能」でないところに求めたい。






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